断章12

 わたしは、長らく二重構造の下層下位レベルの会社にいた年寄りである。

 

 このレベルの会社は、日本型雇用形態だった年功序列・終身雇用とは無縁である。気に入らなければすぐ辞めていくし、すぐに補充される。なにしろ、人を採用するにあたって、学歴・技能・経験を問わないのである。役が付いても、待遇はチョボチョボである。

 

 日本経済の高度成長にもかかわらず、経済二重構造の上層(大企業正社員・公務員・教員)と下層(小・零細企業労働者)の間には、「深くて暗い」越せない河があったのである。

 

 とはいえ、日本経済の高度成長は、下々の者にも下々なりの「余裕」をもたらした。

 乱暴に単純化すると・・・

 戦後しばらくは、自宅の火鉢でスルメをあぶって車座で酒を飲む。

 1960年代は、立ち飲みで飲むようになる。

 「西成の串カツの牛串の肉は、犬肉なんやで。そやから西成には野良犬がいてへんやろ」と笑いながら。

 1970年代は、養老乃瀧や安スナックに行くこともある。

 1980年代は、社員旅行で温泉地に行く。

 1985年頃からは、なんとセクシーコンパニオン付きの宴会まであったのである。

 

 1989年12月29日、年内最終取引日に日経平均株価は史上最高値3万8957円44銭をつけた(日経平均株価は1949年の算出開始日から1989年末までの40年間で220倍に上昇した)。ジャパンマネーは世界中で猛威を振るった。

 まさにその絶頂に向かって日本中がひた走っており、下々の者も幾分のご相伴にあずかったのである。

 

 その後は、どうなったのであろうか。

 

 「日本社会の経済格差は、高度成長の過程で縮小し、社会階層間の流動性は増加したと考えられてきたが、1990年代以降、再び社会の中の経済格差の拡大が指摘されるようになっている」「所得分配の状況を示す一つの指標である再分配後の世帯所得についてのジニ係数について見ると、このところ高まってきており」「労働者の賃金の格差拡大や高齢の無業者世帯の増加等を背景とした世帯別の所得水準の格差は拡大を続けており、低成長=二重構造の拡大」(出所不詳)と、なっていくのである。