断章449

 偽善的な「左翼」インテリ、自称「知識人」リベラルたちが、空想的平和主義の空文句をふりまき、政府自民党が安易な妥協主義(なあなあ)で“及び腰”をつづけた結果、日本は第二次大戦後、一貫して「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よく考えねばならない)ということから、目をそむけてきた。

 

 ところが、世界の現実は、「ロシア国防省は26日、極東を管轄する東部軍管区で8月30日~9月5日に大規模軍事演習『ボストーク(東方)2022』を実施すると発表した。2018年に行われた前回のボストークには中国軍が参加。ロシアのウクライナ侵攻後の今回も中国軍が参加して軍事的結束を誇示するかが焦点となりそうだ。

 演習はロシア軍のゲラシモフ参謀総長の指揮下で行われる。国防省は声明で、ウクライナで軍事作戦に参加しているのは『ロシア軍の一部にすぎない』と主張し、極東で十分に大規模軍事演習を実施できるとの姿勢を強調した。

 ロシア国防省が発表した演習場所には、ロシアが実効支配する北方領土択捉島国後島にある演習場とみられる地名が含まれている」(2022/07/27 時事通信)ということに、端的に示されている。

 あるいは、「ポーランド政府が26日、韓国製戦車『K2黒豹』980台をはじめ、自走砲『K9』648台、軽攻撃機『FA-50」48機を購入する計画であることを発表した。 ポーランド国防省のホームページによると、マリウシュ・ブワシュチャク国防相は『ポーランドは100台のタンクを(韓国から)購入する」と明らかにした。ポーランドはまず韓国から180台の「K2」の年内引き渡しを受け、技術移転を通じて800台以上の『K2』をポーランド現地で生産すると明らかにした。ポーランド国防省は『2026年には戦車K2PL(K2のポーランド輸出型モデル)の生産を始めるだろう』としながら『同じ年には既に確保したK2もK2PL規格で標準化する計画』と伝えた。ポーランドはまた、自走砲『K9』も48台購入した後、引き続き600台以上を注文する予定だと明らかにした。『K9』600台以上は2024年から引き渡しが始まり、2026年からはポーランドで量産する予定だ。また軽攻撃機『FA-50」48機も購入する予定で、最初のユニット12機は2023年にポーランドに引き渡される予定だとポーランド政府は明らかにした』(2022/07/27 韓国・中央日報)。

 

 日本は、2020年の「世界の武器輸出額トップ20」ランキングから脱落している。ドイツは4位、韓国が6位。偽善的リベラルたちのお好きなスウェーデンが13位、スイスは16位である。

 その反対に、「世界の武器輸入額トップ20」ランキングでは、日本は第10位であり、ただ国富が流失するにまかせている。

 

 今日の日本の国防産業・国防技術の状態は、惨状と呼ぶにふさわしい。

 まさに、この時、「国内の科学者の代表機関である日本学術会議は、軍事と民生双方で活用できる『デュアルユース(両用)』の先端科学技術研究について、軍事に無関係な研究と『単純に二分することはもはや困難』とし、事実上容認する見解をまとめた。学術会議は軍事目的の研究に一貫して反対する立場だが、安全保障に絡む研究の推進が重要視される中、踏み込んだ考え方を示した形だ。

 梶田会長が、小林科学技術相にあてた25日付の書面で見解を示した。

 見解では、『科学技術を(軍事への)潜在的な転用可能性をもって峻別(しゅんべつ)し、その扱いを一律に判断することは現実的ではない』と指摘。研究の進展に応じて、研究成果の公開と安全保障面の配慮のバランスを慎重に考慮するなど、研究者や大学などの研究機関が研究の進め方を適切に管理することを求めた。

 学術会議はこれまで、科学者が戦争に関与した反省などから、1950年と1967年にそれぞれ『軍事目的の科学研究を行わない』などと表明。2017年にも防衛装備庁の研究制度に懸念を示す声明を発表した。

 ただ、科学技術の急激な進歩により、軍事と民生の区別をつけるのは難しくなっている。例えば、宇宙分野の技術は軍事的に有用である一方、通信や防災分野でも欠かせない。ワクチン開発も生物兵器の技術につながる面がある。そのため、学術会議の慎重な姿勢が『イノベーション(技術革新)を妨げている』などの指摘もあった。

 政策研究大学院大の隅蔵康一教授(科学技術政策)は『多くの可能性につながる研究を規制するのは、科学の発展にプラスにならない。そのため、今回の見解は現実的な判断だと思う』と話す」(2022/07/27 読売新聞)。

 

 日本学術会議は、自分たちのことを「我が国の人文・社会科学、自然科学全分野の科学者の意見をまとめ、国内外に対して発信する日本の代表機関です」と言っている。

 しかし、お粗末な連中である。その見識は、「インターネットをはじめ、今の世の中で使われている技術の多くは、元は軍事用途での開発からだった。大事なのは、それを他国への軍事利用をさせないこと、非人道的な利用をさせないことであって、技術開発を最初からさせないのは、国を衰退させる行為。日本は何事も、少しでもリスクがあるとそれ自体を行わないよう力学が働きすぎ、こと軍事に関してはアレルギーを持つ一部の人が声高に叫びすぎ。それが日本が先進国から取り残されてる原因だと、そろそろ認識すべきだ」という、ネット民におよばない。

 

 おそらく、菅内閣による「任命拒否」で騒ぎ立てた(たとえば内田 樹は、「おれたち知識階級に喧嘩売ってんのか」とタンカを切った)「左翼」インテリたちが、またぞろ「反対、反対」と金切り声をあげるにちがいない。奴らを一蹴すべきである! 

 これまでに失ったものは、大きい。

 失ったものは、防衛産業・防衛技術の蓄積と高度化、得られたはずの金と雇用だけではない。現代世界では、武器輸出は外交の優れた道具にもなる。すぐれた軍装備品の輸出は、友好国との関係を強化し、また新たな友好国をつくるのに役立つのである。

断章448

 オスのゴリラは11歳を過ぎるころから背から腰にかけての毛が白くなってくる。これは、シルバーバックと呼ばれ、オスのゴリラをおとなとそれより若い個体とに区別する確実な手がかりになる。

 人間のオスは、歳をとると、おおむねホワイトヘッドになる(白髪頭のことね)。低学歴で地頭も良くないネトウヨのわたしは、歳を重ねても、論理力が鋭くなったり洞察力が深くなるということはない(哀しい)。断片的な知識が増えるだけである。であるがゆえに、思い出すことは増えるのである。

 たとえば、「社会主義は歴史的必然なのだ」と言われていたのが、やがて「社会主義は革命的プロレタリアートが勝ち取るもの」になり、ついには「共産党が支配する国が社会主義なのだ」というところまで来てしまったこと。

 あるいは、不破 哲三が宮本 顕治の手紙を引用して、「波の間に間に漂流するするのではなしに、羅針盤をもった航海者として歴史と人生をいきてほしい」と中学生にアドバイスしたという話を読めば、「大海を行くには舵取りにたよる」という中国“文化大革命”でもてはやされたスローガンを思い出すのである。

 

 共産党という船に乗り、マルクス主義羅針盤として、はたして嵐の大海を行くことができるのか? 

 それが問題である。かならず難破する「はずです」。

 不破 哲三たちは、縄文時代早期に平等主義の“原始共産制”の社会があったという。だから、経済の発達した国では、生産手段を共有化して計画経済にすれば、自由で豊かな共産主義社会主義)社会を創ることができる「はずです」という。

 不破たちは、なぜ、“原始共産制”から私有財産制と国家組織が生まれたかを合理的に説明することができない。悪魔にそそのかされてリンゴを食べたから?

 不破たちは、「逆説的ではあるが、人間の競争は欠乏だけではなく、豊かさとともに激化し、より複雑な形態や表現をとり、社会の溝を深めると共に階層化をも加速させる」(アザー・ガット)ということを、理解できないのである。

 もはや、日本共産党は、「社会主義は歴史の必然」と言わなくなった。今では、社会主義になれば、すべてが良くなる「はずです」と言うのである。

 哲学的推論では、地政学ほどにも時代の先を見通すことはできない。

 

 生存と生殖のために限られたリソースをめぐって争うことは、太古の昔からつづいている。なくなることはない。しかも、「困窮や飢餓が戦闘の唯一の理由ではなかった。資源が豊かであるか乏しいかの違いは、養うべき人の数だけではなく、潜在的に拡大し続ける人間の飽くなき欲求や欲望にも左右されるのである」(同前)。

 わたしたちにできることは、その争いが「血まみれ」「血の海」にならないように努力することである。その努力とは、「空想的平和主義」の念仏をとなえることではない。現実的な戦争を抑止する力が必要なのである。軍備を整え、同盟を結び、経済を発展させる。すなわち、「富国強兵」「殖産興業」は、このアナーキーな国際社会で生き残るための、古びることのない「大戦略」である。

断章447

 かつて“社会主義”(“社会主義国家”、“社会主義体制”)を信仰するイデオロギーの帝国があった。その中心には、共産党の大伽藍がそびえたっていた。ガランドウだから中身は空っぽなのだが、そこで発せられる美しい言葉・声明・宣言によって救われたい信者たちのお参りは、ひきもきらず門前市を成した。

 「私が学生になった1980年代の前半は、…著名な文系学者の大部分、理系学者も無視できないくらいの割合が、『マルクス』と関わりを持っていた。経済学者はマルクス経済学、歴史学者唯物史観、哲学者は弁証法や疎外・物象化論は一応知っておかないと、一人前扱いしてもらえないような雰囲気があった。ポストモダン系の思想を研究している人も、マルクスのことはマルクス主義者以上に知っている風を装わないといけなかった」(仲正 昌樹)ほどである。

 

 マルクス・レーニン主義(教) ―― 選挙に差し障(さわ)りが出ると、この用語は、「科学的社会主義」に変更された。なぜなら、いまや日本共産党員の頭の中では、どうすれば次の選挙で得票数が増えるのかが一番大きな場所を占めているからである ―― の司祭のひとり、不破 哲三の1986年3月の日本共産党中央委員会と神奈川県委員会共催の「労働学校」における“説教”を聞いてみよう。

 完全に非現実的な“説教”なら、聴衆に聞き入れられることはないであろう。だから、どんな“説教”であれ、部分的には正しいことをふくんでいる。たとえば、この「労働学校」の“説教”では、日本の大企業による下請けのしぼり方がキツイと言っている。間違いなく、そのとおりである。しかし、そうした正しい部分を切り取るだけでは、この“説教”の中心(基本的な考え方や見方)を読み誤ることになるだろう。

 

 主題は、「資本主義と社会主義」である。こう言っている。

 「今から50年前、1936年。その時には、ソ連に最初の社会主義国がすでに成立していました。(中略)

 それからさらに50年たった今日ではどうでしょうか。社会主義国はもはやソ連だけではなく、ヨーロッパにもアジアにも、ラテンアメリカにも、社会主義の道にふみだす国ぐにが生まれました」。

 「資本主義というのは、人間の歴史のうえでは、封建時代などにはできなかったような経済力の大発展を実現するところに役目があるのですが、もうここまでくると、日本の国の経済や国民の暮らしに責任を負うこともできなくなっているし、世界の経済の問題についても、大局的にいえばもう資本主義の枠内ではおさめる能力がないといっていいところまで実はきている」と、不破は宣言する。

 

 そして、ご託宣(ありがたい仰せ)が下される。

 「わが党は、日本が社会主義の道にふみだすときには、重要産業の大企業の国有化によって、社会主義経済の骨組みとすることを提案しています」。

 「社会主義になれば、本来なら、いまの資本主義のもとで起きているような経済上のムダや不合理は、基本的にはなくせるはずです。(中略)

 また、社会主義の社会では、働く者の能力を大いに自由にのばせる条件が保障されますから、その面からいっても、人間の生産力をもっともっとすばらしい勢いで発展させる道もひらかれるはずです」。

 

 わたしは、これを「はずです」理論と呼ぶことにする。そして、わたしは予言する。

 特権的な赤色党官僚が支配する社会主義は、資本主義とほとんど変わらない搾取と収奪、抑圧と差別、格差と疎外がはびこり、さらにあらゆる居住街区・企業には共産党支部公安警察の出先があって、監視と密告を奨励する陰鬱(いんうつ)な社会に「なるはずです」と。

断章446

 1986年のことである。日本共産党・不破 哲三は、誇らしげに、「1984年12月、宮本・チェルネンコ会談をモスクワで行い、共産主義者同士として『社会主義の言葉』で話し合って、核戦争阻止、核兵器廃絶についての日ソ両党共同声明を出しました」と語った(『労働運動』1986年6月号掲載)。

 日本共産党員の諸君。しっかり目を開けて読みたまえ。

 1984年に、宮本 顕治(1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した)が、チェルネンコソ連邦共産党中央委員会書記長と、「共産主義者同士として『社会主義の言葉』で話し合った」と書いてある。

 この会談は、旧・ソ連の大粛清・収容所群島の存在が明らかになり、さらに、「1953年、ソ連軍司令部は東ベルリンの労働者反乱及びドイツ民主共和国における蜂起の激発を制圧した。1956年には、ソ連軍はポーランドの『10月の春』に脅しをかけ、また、 国民的蜂起とイムレ・ナジの合法政府を粉砕すべくハンガリーに介入した。ソ連軍は1968年にはチェコスロバキアに侵入し、チェコスロバキア共産党およびドプチェク政府を従わせた。1981年には、ポーランド戒厳令を布くためにヤルゼルスキ将軍に補給・通信手段を提供した。これらの出来事は、ソ連とっては衛星国に対する帝国主義的な支配が冷酷かつ取り消し不可能なものであるということを示した」(E・モラン)後に行われている。

 1984年におよんで、ソ連共産党と「共産主義者同士として『社会主義の言葉』で話し合い、核戦争阻止、核兵器廃絶についての日ソ両党共同声明を出しました」と言ったことは、第一に、日本共産党の思想的政治的なマヌケぶり ―― ソ連は“社会主義国家”というドグマに囚われている ―― を示している。第二に、日本共産党のいう「核戦争阻止、核兵器廃絶」は、彼らの“プロパガンダ”であることを示している。

断章445

 日本共産党は、その党によって、またその党のためにのみ生きている職業的活動家(専従・常任)を基幹とする、党中央への官僚的忠誠・服従を求める政党である。それは、今なおスターリン主義の“無謬神話”を堅持しており、おのれに都合の悪い事柄を忘却の淵へと落とし込む。

日本共産党は、旧・ソ連が、すでに1947年には“社会主義国家”ユーゴスラヴィアを脅迫し、東欧“衛星国”のユーゴ寄りとみなした人びとを処刑し、1953年ベルリン、1956ポズナニ1956年プダペスト、1968プラハ1970年および19801982年のポーランドなどの労働者反乱を無慈悲に弾圧し、さらに1969年にはダマンスキー島の領有権をめぐって“社会主義国家”中国と軍事衝突しても、旧・ソ連を“社会主義国家”だと認めつづけた。

党員たちは、この過去から目をそむけ、過去の隠ぺいに手を貸している。

 佐藤 優は、「反知性主義とは、実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」だと定義する。

 この意味では、日本共産党は、紛う方なき(まごうかたなき)「反知性主義」である。

 

 「おのれに都合の悪い事柄を忘却の淵へと落とし込む」と批判されても、日本共産党は気にしない。なぜなら、共産主義者は「必要とあらば、いかなる戦略をも用い、策略を弄し、非合法的方法を採用し、時として真理をおおいかくすすべを心得ていなければならない」(レーニン)というメンタル(信念)をもつからである。党が、若くてナイーブで善意の人びとをつかまえるためには何でもありなのだ。

 

 日本の社会には、やらずぶったくり(慈善活動・ボランティアが少ない)や古臭い縁故主義がはびこっている。なので、若くてナイーブで善意の人びとは、日本共産党や「左翼」インテリの、「この世の搾取と収奪、抑圧と差別、格差と疎外は、すべて“資本主義”が原因」あるいは「あなたが苦しんでいるのは“アベノミクス”のせいですよ」というキャンペーンにだまされやすい。

 しかし、実は、搾取と収奪、抑圧と差別、格差と疎外は、“資本主義”に特有のものではないのだし、“アベノミクス”も安倍元首相の専売特許の政策ではない。歴史をさかのぼり、世界に視野を広げれば、そのことは明らかである。

 

 「ロシア10月革命後、社会主義に向かっての偉大な前進が始まった」という共産党の美しい言葉・プロパガンダは虚偽であった。わたしたちは、1918年「ロシア憲法制定議会の解散」や1921年「クロンシュタットの反乱」にまで立ち戻って考察しなければならない。

 

【参考】

192131日、クロンシュタットの水兵と市民は、非共産党諸党派の活動の自由などを要求する決議を15,000人の大集会で採択し、翌日臨時革命委員会を結成し、『ボリシェビキなきソビエト』のスローガンを掲げて決起した。

 『ボリシェビキは、クロンシュタットの人びとを白色将軍に率いられた反革命謀反者として非難した。この非難が、根拠のないものであったことは、明らかになっている』(アイザック・ドイッチャー)

 当時、ロシア共産党(ボ)政治局員の一人でペトログラードソビエト議長だったジノヴィエフは、ただちにクロンシュタットに軍を送り、鎮圧しようとしたが、赤軍の兵士が反乱軍に同情して攻撃命令を拒否すると命令に従わない兵士を形だけの裁判で銃殺。さらに、督戦隊が兵士の傍に付き添い『戦闘中に逃亡した兵士は射殺する』と命令した。

激戦のすえに318日これを制圧した。反乱側の約8,000人はフィンランドに脱出したが、死者600人、負傷者1,000人を出し、2,500人が投獄された。政府軍側でも合計約1万人の死傷者と行方不明者を出した」(Wikipediaコトバンクなどを再構成)。

断章444

 「私たちはどうでもよくて取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく」(『ブラック・スワン』)。

 ウクライナの砲声は、第三次世界大戦の接近を告げた。一発の凶弾は、日本の安全神話の完全な終焉を告げた。

世界=社会のおぞましい現実が、否応なく誰にも突きつけられる時代の幕が開いた。

断章443

 日本共産党の100年を総合的包括的に評価するためには、すでに完全に「オワコン」(オワコンとは、主に一般ユーザー又は個人ユーザーに飽きられてしまい、一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったこと)に落ちぶれた、ロシア10月革命とそれにつづく旧・ソ連さらにコミンテルンを知らなければならない。日本共産党は、(客観的結果的に見て)その手先として働く者たちであったからである。

 

 こんにち、日本共産党は、「崩壊したソ連社会主義とは無縁であり、日本共産党はその誤りと自主独立の立場でたたかい抜いてきた」と言う。

 従来の主張に口をぬぐって、ほおかぶりをきめこもうとする、日本共産党厚顔無恥をバクロしなければならない。

 

 日本共産党の“陰の実力者”(真の実力者とみる人もいる)である不破 哲三。彼の著作に兄・上田 耕一郎との共著『マルクス主義と現代イデオロギー (上・下)』(1963)がある。

 不破が書いた、Ⅳ「現代トロツキズム批判」の214ページを見てみたまえ。

 「10月革命以来40年間の世界史の発展は、…世界革命の不均等な発展が主要な先進資本主義国をまだ資本主義体制のもとにとどめているあいだに、ソ連社会主義社会の建設を完了し、社会主義は資本主義的包囲を打ち破って世界体制となり、帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退しうる力をもちながら共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始しているのである。ソ連共産党第21回大会でフルシチョフがのべているように、『一国における社会主義の建設と、その完全かつ最終的な勝利にかんする問題は社会発展の世界史的行程によって解決された』のである」と、まるでソ連共産党が飼っていたオウムのような口ぶりである。

 これが、旧・ソ連による64万人もの日本兵のシベリア抑留・強制労働 ―― バイカル・アムール鉄道は日本人抑留者の血と汗で完成したと言われている ―― があった後、さらにすでに旧・ソ連(中国も)のはなはだしい人権侵害が世界に知られつつあった後での、不破 哲三の“論考”である。

 

 わたしの立場は、

 <ロシア10月革命は、社会主義革命ではない。ボリシェビキによるクーデターだった。

 旧・ソ連は、社会主義国家ではなかった。スターリン主義武装した特権的党・国家官僚階級が支配する軍国主義的官僚統制経済の赤色全体主義国家だった。

 日本共産党は、旧・ソ連の特権的党・国家官僚階級の公認イデオロギーであるスターリン主義の虜(とりこ)になり、(主観的にはどうであれ客観的には)日本国内を撹乱した政党である>というものだ。

 

【参考】

 ボリシェビキは、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。のちにロシア共産党ボリシェビキ)。1917年に起きた民主革命であるニ月革命後は社会主義革命とプロレタリア独裁を主張した。10月には武装蜂起に成功し、十月革命を起こし、ソビエト政権を樹立した。(Wikipedia