断章15

 大型自動車免許は持っていたが、長距離ドライバーになれば趣味の古本屋巡りができなくなると思っていたので、その選択は無かった。

 たとえ好景気であっても、学歴が無く、技能が無く、経験が無くて、病み上がりの自分を雇ってくれる仕事は限られていた。

 歩合制の飛び込み営業である。

 

 午前中は電話帳で軒なみアポ電をして、午後は大きな団地に飛び込み訪問の営業をかける。住居棟の最上階まで上がって、1軒1軒ピンポンを押していく。次は下の階に降りてを繰り返し、5~6棟をやっつける。共働きで不在が多いから、引き揚げる時には郵便受けにチラシをポスティングしておく。夕方、長めの休憩をとり、夕食時間をすぎた頃に、また1時間ほど飛び込み営業をするのである。

 

 病み上がりの身体には、きつかった。しばらくは、帰宅するやいなや、泥のように寝たのである。けっして嫌ではなかった。色んな家に上がりこんで色んなことを見聞したのである。

 セールスマンの誕生、であった。

 

 職場の同僚の紹介で知り合った女性と、出会ってから2年後に結婚した。

 「割れ鍋に綴じ蓋」があったのである。

 

 「破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ」(ことばんく)

 

 日本のバブルは破裂した。

 すでに「停滞の平成時代」の幕は上がっていたが、まだまだバブルの余熱・慣性は残っていた。

 

 「セールスマンの死」がいずれは訪れるとしても、歩合制の飛び込み営業ではない、別の営業職を目指した。資格を取得して、別業種に就職した。とてもとてもディンクスとは呼べない低位安定の貧乏だが、それなりに落ち着いたのである。