断章110

 イスラエル軍には、超エリート教育プログラムがある(「徴兵制」で兵員量が確保できれば、自動的に「国防軍」の質に転化するわけではない。やはりトリガーなりカタリストがあって質に転化するのである)。

 

 「タルピオットと呼ばれる最先端軍事技術の研究・開発を担うトップエリートプログラムへの選抜は、毎年、義務教育を修了した5万もの学生(徴兵候補者)の適性をとことんチェックする。リーダーシップ、協調性、突然のアクシデントでも冷静さを失わずに正しい解決法をすばやく選択できるかどうかなど、項目は多岐にわたる。たとえば、顕著な数学的才能をもつ学生でも、自分勝手なふるまいをしたり愛国心に欠けたりする者は選抜されない。

 そうやって選抜された約30人の若者は、最新兵器開発のための選りすぐりのスーパーエリート候補としての教育と訓練を受ける。フル装備を背負ってネゲブ砂漠を行進したり、パラシュート降下訓練もある。

 タルピオットのプログラムは、ミッション(任務)遂行トレーニングである。そのミッションとは相手の意図、環境、気象などコントロールできない環境下で最悪のシナリオを想定し、生存するための方策を兵器システムとして考える。約40年もの歴史を通じ確立されたタルピオットの教えは『不可能なことは何もない』ということと『恐れない気持ち』であるという。

 3年に及ぶプログラムを乗り越えた者は、名誉ある『タルピオン』と呼ばれ、軍の各所に配属され、約6年間、軍に所属しながら研究開発をおこなう。その間、ヘブライ大学やワイツマン科学研究所、テルアビブ大学などで修士、博士号の取得を目指す者も多い。

 専門家の間では、ドローン、自動運転技術、顔や指紋の認証システム、弾道ミサイル迎撃システム、さまざまな通信・傍受技術など、近年の軍事のパラダイムを変えた多くの発明が、タルピオットから生まれたとみられている。

 また、サイバー専門の8200部隊がある。現在、イスラエルではインテリジェンス関連の情報の90%は8200部隊がもたらし、諜報特務庁『モサド』にせよ他の情報機関にせよ、8200部隊なしに大きな作戦をすることはないという。

 8200部隊もタルピオットと同じく高校卒業時に上位1%の中から選抜される、選りすぐりのエリート集団である。さらに驚くのは、13歳の若さでの選抜もあることだ。候補者を見出すと、部隊は時に半年以上もかけて、彼らに厳しい面接や試験、コミュニケーションや電子工学、アラビア語などの講義を行い、学習能力や変化への対応力、チームへの適応力、他者が不可能と見ることにも果敢に挑む姿勢などをチェックする。そうした厳しい審査をくぐり抜けた者が、最終的に選抜される」

 「国は徴兵制を通じて若者に大きな責任を与え、『自主独立』と『失敗を恐れず変革を続ける』メンタリティを植えつける。若者たちは、そこで人生の宝となるスキルとネットワークを得る。そして除隊後、海外遊学を経て『大人』となって帰国する彼らに、国はさまざまな高等教育を用意している。イスラエルの大学は、実用性、応用性、そして先進性のある技能の習得に力を入れており、軍産官学の連携が進んでいる。

 ベール・シェヴァという都市では、軍、産業、自治体、大学が1つのタウンを形成し、軍産官学の人間が、同じスペースでコーヒーを飲み、情報交換しながら切磋琢磨していく環境があるという」(米山 伸郎『知立国家 イスラエル』から抜粋・再構成)。

 

 翻(ひるがえ)って日本を見るに、「日本の若者はシラケている、とよく言われる。この現象を大人たちは、日本の若者のヤル気のなさに帰す。だが私にはそれが、負けるんではないかという怖れからきているのではないか、という気がしている。(中略)

 今では多くの人が、イタリア・ルネッサンス古代ローマの歴史を書くことは塩野七生の天命とでも思っているかもしれない。ところがその『天命』なるものは、娘時代の自信の無さをどうにかしなくてはという思いで始めた数多の悪あがきの結果にすぎないのである。だから若い人たちも、簡単にシラケないで悪あがきしてほしい」。

 悪あがきを続けて、ある日突然、成果が出る。「そうすると人は、ひょっとすると自分には力があるかも、と思うようになる。そして、これこそが生身の人間の面白いところだが、以前は思いもしなかった力までも発揮できるようになるのだ」(『日本人へ 危機からの脱出篇』塩野 七生)。

断章109

 「50年も歴史を書いていながらこうも平凡な結論にしか達せないのかと思うとがっかりするが、それは、自らの持てる力を活用できた国だけが勝ち残る、という一事である」。

 「日本にとって最も重要なことは、二度と負けないことである。勝たなくてもよいが、負けないことだ。今の日本が、国内外の問題は数多あるにせよ、他の先進国に比べて有利な点が三つある。政治が安定していること。失業率が低いこと。今のところにしろ、難民問題に悩まないですんでいること。この三つは、大変に重要なメリットである」。

 「それにしても、『自らの持てる力の活用』とは、もしかすると人間にとって最もむずかしい課題であるのかもしれない。だからこそ、歴史に登場した国の多くが、失敗してきたのではないか。ちなみに、持てる力とは広い意味の資源だから、天然資源にかぎらず人間や技術や歴史や文化等々のすべてであるのは当たり前。つまり、それらすべてを活用する『知恵』の有る無しが鍵、というわけです。わが祖国日本に願うのも、この一事である」(塩野七生『逆襲される文明』から)。

 

  「知恵」といえば、単純なわたしが思いつくのはユダヤ人である。

 2020年1月16日、アルファベットは、株式時価総額が米国企業として史上4社目の1兆ドル超えを果たした。それに先立つ2019年12月3日、ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンは、アルファベットのCEO及び社長を正式に退任した。アルファベットは、グーグルの持ち株会社であり、彼ら二人はグーグルの共同創業者である。彼ら二人は、カール・マルクスアルバート・アインシュタインボブ・ディランと同じユダヤ人である(なお、ユダヤ帰還法では、ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人である)。

 「ノーベル賞は、年に一度贈られる国際的な賞であり、生理学・医学賞、物理学賞、化学賞、文学賞、平和賞は1901年に設けられ、経済学賞は1969年に設けられた。 ノーベル賞はこれまで800人を超える個人に贈られているが、その少なくとも20%がユダヤ人であり、ユダヤ人は6種類の賞すべてを受け取っている。ユダヤ人は世界の人口の0.2%以下を構成するに過ぎないに関わらずである」(WIKI)。

 しかも、ユダヤ人が1948年に建国したイスラエル(なお、日本はアジアで初めてイスラエルを承認した国である)は、四方をアラブ(イスラム)に囲まれた国である。

 核武装した「北朝鮮」、中国、ロシア、そして「反日」韓国と向き合わなければならない日本は、イスラエルから学ぶことがあるはずである。

 

 「イスラエルの若者の人間形成において、徴兵制度は決定的な意味をもっている。周囲を敵国に囲まれたイスラエルにとって『生存』こそが至上命題である。生存のためには、国防に『頭脳』を結集させなければならない。

 超正統派ユダヤ教信徒(注:この人々はイスラエルの人口の2割にもおよぶが、経済活動を一切せず、国から支給される生活費で、日々ユダヤ教の研究だけをおこなっている。しかも、その人口比は着実に増大している)やムスリムなどの例外を除くイスラエル人は、18歳になると男女共にイスラエル国防軍に徴兵され、男性3年、女性21~22カ月の兵役に就く。

 この兵役もイスラエルらしい合理性に基づいた運用がなされており、一律に同じ任務に就かせるのではなく、それぞれの任務に最適な人材の選抜がおこなわれる。選抜は、16歳から始まる。計量的心理テストと知能テスト、他に専門性が問われる分野については、そのためのテストがある。試験結果は陸海空の軍ごとに精査され、軍側から適材適所で若者をリクルートしていく。配属は軍が一方的にふるいにかけるというよりは学生側にいくつかの選択肢を与え、その中から希望の配属先を選べる形式になっている。

 軍での体験は、イスラエルの若者たちに大きな果実をもたらしてくれる。わずか18歳から19歳の若者が、徴兵を契機として、それまでの自由な生活から正反対の規則と規律を伴う集団生活に漬かることになる。若く頭の柔らかい段階で、国家の置かれている状況や危機意識といったものを、国防の最前線において肌で感じることができるのだ。また、国家の独立と存続と安全を、自らの奉仕と貢献でまもるという『自主独立』の精神が涵養されるのである。

 マイクロソフトイスラエル社の最高技術責任者(CTO)のヨラム・ヤーコブィ氏は、『イスラエルの企業家精神は、兵役期間中の軍の教育で涵養される』と断言する。『兵役で培ったことはその後の人生にとって、決定的な意味を持ちます。たとえば、上官の指示を盲信せず、自分で問題の本質をとらえ、独自に解決策を生みだしていく過程が、企業家精神に繋がるのです。』

 高校卒業したての若者が、兵役につくことで母国が置かれている国防の状況を実地で学ぶ。そこで大きな責任を与えられ、仲間と切磋琢磨する中で自主独立の精神を養い、自信を持って自立の道を歩む。また『同じ釜の飯』を食った同士で助け合う。

 ユダヤ人は『個』の強さを磨き、臆せず自己主張するように育てられるが、ネットワークを通じて助け合うことで、迫害を逃れてきた。そしてイスラエルの場合、兵役の2年~3年の間に、『個』のエゴを上回る『大義』に尽くすことの大切さを叩きこまれるのではないか。国防の現場で直面する難問を解決してゆくには、『個』の潜在力を思い切り発揮させると同時に、ライバルと競いつつも協力しあわなければならない。イスラエル人は、若くて頭の柔らかい段階で兵役につくことによって、『個』と『大義』の関係をあたかも縦糸と横糸のように編み上げる感覚を身につけているのかもしれない。

 最終的な目的は、国を守り、『生存』を図ることだ」(米山 伸郎『知立国家 イスラエル』を抜粋・再構成)。

 

 現在の日本で「徴兵制」は、ありえない。しかし、「国防」に対する国民の関心、関与を増大し、自衛隊に「国防軍」としての誇り、地位を確立し、その待遇や除隊後の処遇の改善に取り組む必要がある。

 さらに、「上官(上司)の指示を盲信せず、自分で問題の本質をとらえ、独自に解決策を生みだし」「『個』と『大義』の関係をあたかも縦糸と横糸のように編み上げる」ことができるようになる教育を、義務教育段階から実現しなければならない。

断章108

 日本人、とりわけ官僚たちは、想定内のことには上手く対処するが、想定外のことにぶつかると全くダメだ、と塩野 七生は言う。

 利害関係者や評論家たちが、木の枝葉を見て、かまびすしく議論している。ところが誰も森を見ていないので、森ごと地滑りに巻き込まれると呆然自失、虚脱状態になる。リスクはしのげるが、ブラックスワンには完全にお手上げなのだ。

 

 ところが現実社会は、不確実性が増し、変化の速度があがり、「Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったVUCA(ブーカ)という言葉も、・・・定着しつつある」(『身銭を切れ』)様相である。

 

 例えば、「北朝鮮」をめぐっては、「日本の排他的経済水域EEZ)にある好漁場『大和堆(やまとたい)』周辺での北朝鮮漁船による違法操業問題で、海上保安庁は8日、スルメイカの漁期にあたる昨年5~12月の取り締まり結果を公表した。EEZに侵入するなどした漁船への退去警告は1300件超に上り、海保の巡視船への投石が10件発生。平成30年の漁期に続き大和堆入域を阻止したとしているが、北朝鮮側の威嚇や抵抗は止まず、警戒を強めている」(2020/01/08 産経新聞)のだが、「北朝鮮」は甚だ機嫌が悪い。

 「北朝鮮」にとっては漁業も“戦闘”なのである。今は、投石ですんでいるが、2001年に東シナ海であった「北朝鮮工作船からの小銃やRPGによる攻撃と同様のことが大和堆(やまとたい)で起きても不思議ではない。この時の銃撃戦では、日本側は海上保安官3名の軽傷ですんだが、次はどうなるかわからない(韓国軍・天安艦爆沈のようなことがあるかもしれない)。

 

 「そんなことが起こるはずがない」と、自称「知識人」リベラルは言うだろう。かつて、横田めぐみさん拉致事件などでも、「明確な証拠がない」と言って、いつまでも「北朝鮮」をかばい続けたことに口を閉ざして。

 

 「現実的な考え方をする人がまちがうのは、相手も現実的に考えるだろうからバカなまねはしないにちがいない、と思ったときである」(マキャベリ

 

【補】

 「外国人と比べると、日本人には決定的とも言えるような大きな欠点があります。・・・あなた方はそうならないで欲しいと願っていますけれど、これは日本の為政者にはよく見られる欠点です。

 つまり、どうも私には、日本人は選択肢をひとつしかもたないというところが目について仕方がないんです。

 たとえば、ペルーの日本大使館で起きた人質事件です。あの時、日本側は平和的解決という選択肢ひとつだけで突っ走ったわけです。と言っても、私は平和的解決を望むのがいけないというのではなく、そのことしか選択しなかったことがいけないと思うんです。ものごとを決断するには、どんな場合でも、いくつかの選択肢があるはずです。それらの中からひとつの方向を決めるには、情報というものが非常に重要になってきます。(中略)

 そういういろいろな情報は、何かひとつだけのことしか頭にない人には通りすぎてしまいます。それを通り過ぎさせないようにする。多くの情報をただ単に集めるのではなくて、項目別に整理するというか、固めておくわけです。こうしてはじめて、選択肢がいくつかもてるようになるのです」。

 「今、日本の中高年は、大胆になれと言われているのに一向になれなくて、あたふたしています。これは若い時から訓練を積んでいないからなんです。そういう人たちが、そのまま何ごともなく戦後50年をやってきて、それが今、突然、自分たちで決めなくてはいけないという事態にぶつかったんです。しかし、情報の集め方も知らなければ、選択肢はひとつに絞ることの他はまったくできない。これまでとはまったく違う事態に直面させられて、どうすればいいのか、決定することができない。

 これから生きていこうとしているあなた方には、やはり、開放的で大胆であることを身につけていただいて、今の大人たちとは違った臨機応変なフットワークを身につけて欲しいと思います」(『生き方の演習 若者たちへ』塩野 七生・朝日出版社)。

断章107

 「国家の統治を預かる人は、国家が逆境に立たされるのはどのような時か、そしてそのような非常時にはどんな人物が要請されるのか、ということを前もって考えておかなければならない。さらに、どんな辛苦にあおうとも、それに耐えぬくことが自分たちのつとめだという気持ちを人びとに持たせるように、ふだんから人民と苦楽を共にしていなければならない」(マキャベリ)。

 

 では、今の日本をどうみるか?

 わたしは、相変わらず、「今、1億2千万人を乗せた日本丸は、豪華ラウンジで楽しむ富裕層からエンジン音が響きわたる油臭い船底にいる最下層民までを乗せて、海賊が待ち構える海図のない海を漂っている」とみている。

 しかも、この日本丸は、建造以来ながい年月を経て、あちこちに傷みが目立ち始めているし、窓のない船室にいる下等船客の待遇はますます悪くなり、さらに海は荒れそうである。

 

 こんな時に、マスコミや野党は、「船長や高級船員、そして上等船客は、男はタキシード、女はロングドレスのドレスコードで桜の木の飾られた会場で豪華ディナーを楽しんでいるぞ。お前たち下等船客のことなど気にかけてもいないぞ」と、大衆の劣情をかきたてることに一生懸命である。

 

 確かにお粗末な話である。しかし、今更な話でもある。これまでも、船長や高級船員がどうであれ、上等船客がどうであれ、したたかでけなげな庶民は黙々と日本丸を動かしてきたのだから。ところが、そんなことはいつまでも続かない(いつまでもあると思うな親と金。いつまでも続くと思うな庶民の我慢と頑張り)。

 いくら民衆が頑張っても国がダメなら、日本はまた「歴史的敗戦」を迎えるだろう。

 

 庶民(とりわけ貧困層)の生活がジワリと苦しくなりつつあるとき、依然としてアフリカや中東の「独裁国」にまでODAの垂れ流しを続けている。のみならず、自民党の重鎮が、日本人としての誇りを踏みにじられても顧(かえり)みないで、「1,200人規模の訪問団で韓国を訪れたい」というような「言質」を安易に与えるようなことでよいのだろうか?

 

【補】

 「老後破綻という言葉を聞いて久しい。現在、生活保護受給者の半数以上が65歳以上の高齢者で、しかも年々増え続けているのが現実だ。元々、平均的なサラリーマンが一人でもらえる厚生年金は、税金や社会保険料を差し引かれると生活保護レベルと変わらないほど安い。税金や医療費が無料になる生活保護の方がいいかもしれないくらいなのだ。そして夫婦二人世帯でなんとかギリギリやっていけるのだが、離別や死別で一人になった途端、たちまち困窮してしまう。事実、高齢者の生活保護受給世帯の9割が単身者なのだ。

 さらに公的年金だけでは生活はギリギリにもかかわらず、今後は減らされる一方になることがすでに決まっている」(日経ビジネス)。

断章106

 東映アニメーションゲゲゲの鬼太郎」で紹介されている「ねずみ男」のキャラクターは、「人間と妖怪のハーフ。お金と権力が大好きで、何よりも金儲けを最優先する。あるときは鬼太郎の味方であり、あるときは敵になる。平気で嘘をつき、人を裏切る、欲にまみれた人物」である。偽善者ではない。正直者である。

 

 一方、「動物王国」のネズミ男は、「あらゆる手をつかい、いかにおのれが利口であって知恵と知識とスルドサに満ちているか、ということを知らしめようと必死」(椎名 誠)な俗物である。もっと遠くへ行けると常に妄想する性(さが)をもち、爪に火を点して貯めた金で「宝クジ」を買う夢追い人である。

 

 「毎週、何百万人もの人々が買い求める宝くじは、賭けである。皮肉屋のアドバイスによると、締め切りぎりぎりに買うほうがお得だ。さもないと1等を勝ち取る確率よりも、結果が出る前に死ぬ確率のほうが高くなるから。

 しかしこの計算は、宝くじを買うという行為を誤解している。宝くじを買う人は夢を買っているのだから、夢が手元にある時間が長ければ長いほど、喜びは増すというものだ。お馬鹿さで知られた実験によると、学生たちはお気に入りの映画スターから3時間後にキスしてもらえる場合よりも、3日後、あるいは1年後にキスしてもらえるほうにずっと多くの金を払うことがわかっている。

 宝くじの常連客がいつものように金をすってしまったとき、彼らは来週また買ってやるぞと心に誓うことで、夢をつなぐことができるのである。」(ジョン・ケイ『金融に未来はあるか』のダイヤモンド社の紹介文から)

 

 そして、実は今では、金融業界で働いている面々、投資活動に没入している面々も、この「宝クジの常連客」と同じく“夢を追って賭ける人々”化しているという。なぜなら、「リスクとブラックスワンの決定的な違いを金融の専門家すらわかっていない」からだというのである。

 「金融業界は今や、政治を動かし、一度揺らいでしまえば日々の暮らしを左右する存在になってしまった。・・・巨大銀行の業務の大半が社会にとっていかに有害無益であるかを解き明かす一方で、リーマン・ショック後、金融業界の肥大化を抑制するために導入された膨大な規制も逆効果だと断じ、銀行を『よそ様のお金を預かる』まっとうなサービス業に回帰させ」(ジョン・ケイ)ようと提言されても、何ひとつ変わっていない。

 

 それは、「歴史とは(人間の営為とは―――引用者)、何であろうと求めてやまない、心が狭く、恐怖に駆られやすく人間関係も上手くいかず、落ちついて待つことさえも不得手な、哀れではあっても人間的ではある人々の、人間模様に過ぎない」(塩野 七生)からだろうか。

 ナシーム・ニコラス・タレブは言った。「私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない」「私たちはどうでもよくて取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく」(『ブラック・スワン』)と。

断章105

 「20世紀型の国際秩序は終焉し、主権国家が群雄割拠する時代に向かう。そんな見通しを示す報告書がロシアの保養地ソチで開かれた討論会で発表された。出席した米欧の学者や外交官らからも特に異論は出なかった(中略)

 報告書は、露政府系シンクタンクのヴァルダイ討論クラブがまとめた。討論会は9月末~10月初旬に開かれ、プーチン露大統領も出席した。(中略)

 報告書は、2度にわたる世界大戦の教訓から米国が主導して築いた世界秩序は、歴史的にはむしろ例外であり、『国際関係はアナーキー(無政府)な状態が自然だ』と指摘。米国が国際秩序を支える意思を弱め、興隆する中国が巨大経済圏構想『一帯一路』を通じて勢力圏を拡げる現状にあっては、20世紀型の国際秩序は『過去のものだ』と切り捨て、『独立した諸国がそれぞれに責任をもって行動する新ルールに取って代わられる』と主張した。

 ロシアも存在感を発揮できる新たな世界のあり方を提示した報告書といえる」(2019/11/07 産経新聞)。

 

 今はアメリカ睨みで蜜月の中国・ロシア間でも、2012年にはすでに、「中露間では、中国が資源を買って製品を売る事実上の植民地貿易、・・・中国によるロシア製兵器のコピー生産(と輸出)、中央アジアをめぐる主導権争い、中国人の極東シベリア不法滞在、中国軍増強など水面下の対立が進んでいる。何よりも、中国経済の飛躍で、中露の力関係は大きく変わり、昨年の中国の国内総生産GDP)はロシアの約4倍に達した。

 中国脅威論をしばしば報道するロシアの週刊紙『論拠と事実』は、『極東の中国人は10万-20万人とされるが、実際にはその何倍もいるとの見方がある。ウラジオストクの店に並ぶ野菜や果物は、中国人が近くのレンタル農地で栽培し、生産しているものだ。ウラジオストクのスポーツ通りの中国人街には、中国人が溢れている。極東経済は中国なしには成立しない。中国人はスーパーや店を買収し、放置された建物を修復し、中国人コルホーズを組織している。気づかれないうちに、中国人は全沿海地方を支配しているのだ』と書いた。

 ワレーリー・コロビン地政学センター所長は同紙(8月29日号)に寄稿し、『中国との領土問題は決着し、国境紛争の種はないとはいえ、極東からのロシア人流出と中国人流入は続く。中国人は人的ネットワークで市場や領土を支配する術を心得ている。極東の幾つかの地域では、中国人の人口が過半数に達している可能性もある。中国人は同化せず、家族を呼んで子供を産む』と述べ、『極東中国人自治区』が創設される可能性に警告した。

 ソ連崩壊時に800万人を超えた極東の人口は昨年の統計で626万人まで減少した。これに対し、隣接する中国東北部の人口は1億3000万人に達し、極東への流入が進む。

 プーチン大統領は『極東の外国人人口はまだ危険水域に達していない』としているが、中国人は極東の行政府幹部を買収し、ビザ取得や土地のレンタルを進めている。現状では、極東は中国経済に飲み込まれつつある」。

 「中国の新しい歴史教科書には、『極東の中国領150万平方キロが、不平等条約によって帝政ロシアに奪われた』との記述が登場した。中国はある日突然、ウラジオストクを『中国固有の領土』として返還を要求しかねない」(注:『フォーサイト』記事を再構成)という危惧が存在した。

 

 かつてアメリカと共に共産主義圏に対抗していた西ヨーロッパ。今ではドイツのアンゲラ・メルケル首相でさえ、ドイツメディアの取材に対して、「欧州各国は団結してロシア、中国、アメリカからの挑戦を受けて立たねばならない」と言い、「アメリカを、ロシア、中国と同列に並べたのだ。『同じ欧州の国といっても各国の利害はしばしば異なるのだから、団結するのは容易なことではない。それでもそうするしかない』」(2019/5月 ニューズウィーク日本語版)と言ったのである。

 

 主権国家が群雄割拠する時代。

 平和を求めるわたしたちは、第一に、平和と知恵の女神、アテーナー武装して鎧を纏(まと)った姿で生まれ、理知的で気高い戦士であったこと。

 第二に、「自分たちだけで祖国も利益も守れると考えて完全に孤立する民族はやがて、他国の影響力に圧倒されて消滅するだろう」(ビスマルク)ことを、忘れてはならないのである。

 

【参考】

 「トランプ政権で首席戦略官を務めたスティーブ・バノンは2019年4月25日に開かれた会議で、『米国の実業界は中国共産党のロビー機関であり、ウォール街は投資家向け広報部門だ』とまで痛烈に批判した(2019年4月26日付、ブルームバーグ)。しかしこれを背景にしながらも、議会では上下両院のほぼ全議員が法案(引用者注:アメリカの香港人権法)に賛成票を投じた。異様な光景としか言いようがない。日本共産党の一件(引用者注:日本共産党は香港問題で中国を批判した)と同じような不思議な出来事だ。

 少なくとも議員たちは、親中派と思われたくない、親中派と思われたらまずいと感じたのだろう。そういう事情があった。かりに直接であれ間接であれ、中国から何らかの利益を得ていたとしても、ここで法案に反対して親中派のレッテルを張られた場合の不利益や有害性がむしろ、中国絡みの利益をはるかに上回り、あるいは致命的であったりする。そうした事情があったのではないかと思われる。

 打算的なところは、イデオロギーに関係なく、米国の議員も日本共産党の政治家も共通しているわけだ。利害関係を天秤にかけて選択をするのは一種の本能である。中国共産党も然り。そもそも理念の共有も利益の共有も、永続的ではない。いざというときになれば、裏切られたりするものだ。(中略)

 『Pick a side』(どちらの側につくのかを決める)の時代である。中立や中庸はない」(2019/12/03 WEDGE Infinity・立花 聡)。

 

【補】

 「この先遠い未来に、中国がシベリアの大部分を支配下に治めることがあるかもしれない。しかしそれが実現するとしたら、原因はロシアの出生率の低下と、北へ向かう中国の移民の増加だろう。湿地のような西シベリア平原、つまり西はウラル山脈から東は1600キロ離れたエニセイ川のあいだのおもだった町には、すでに中華料理のレストランができ、それ以外のビジネスもどんどん流れ込んでいる。極東ロシアの人口が激減した過疎地は、まるで中国文化に支配されたかのようだ。いずれは政治的にも支配されるかもしれない」(『恐怖の地政学』 T・マーシャル)。

断章104

 年明け早々、「動物王国」の下級国民であるネズミ男は、コタツで背中を丸め鼻水をすすりながら温かいココアを飲んでいる。「北風吹きぬく 寒い朝も ココアひとつで 暖かくなる~♪」と替歌を歌ったりして、ご機嫌である。

 というのは、知り合いの若い女性から、「ライン」で年賀が届いたからである。スタンプが、ポンポンと2つ送られてきたにすぎない。しかし、そのスタンプ(の文)が、「あけましておめでとう」「今年もよろしく」の“省略語”である、「あけおめ」「ことよろ」だったからである。

 出口 汪に言わせると、「他者意識が希薄なほど言葉は省略に向かう」「そうした言葉で分かり合っていると錯覚できることが、おそらく仲間の資格なのだろう」ということだから、若い女性の仲間に入れてもらえた気がしたのだ。おめでたい奴である。

 

 つれあいのハムスター女は、朝早くから元気よく買い物に出かけた。なにしろ今日は、ネズミ男のような低所得者向けプレミアム付き商品券を使うし、「初売り特売日」だし、大好きなポイント10倍デーでもある。「三重楽」(?)なのである。彼女に言わせれば、「プレミアム付き商品券を、いつ使うの? 今でしょ!」なのである。

 彼女とてプレミアム付き商品券の「本質」を知っている。「トゥリウス・キケロの言うように、人民とはたとえ無知であったにしても真実を把握する能力を有する」(マキャベリ)からである。プレミアム付き商品券の「本質」を知っていてもハムスター女は、気にしない。「くれるものは、何でも、何度でもOK」な主義だからである。

 

 今日もネズミ男とハムスター女は、「北風吹きぬく 寒い朝も 野越え山越え 来る来る春は いじけていないで 手に手をとって 望みに胸を元気に」(『寒い朝』♪吉永小百合)、下級国民にはとりわけ厳しい北風の中に春を呼ぶのでありました。